ファビオ・チャベスさん(カテウラ・リサイクル・オーケストラ:The Recycled Instruments Orchestra of Cateura )インタビュー

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ファビオ・チャベスさん(Mr. Favio Hernán Chávez Morán)(カテウラ・リサイクル・オーケストラ:The Recycled Instruments Orchestra of Cateura )

インタビュアー:ミタイ基金 藤掛洋子代表理事

ミタイ基金は2013年12月3日、無印良品と横浜国立大学とコラボレーションで「カテウラ」のメンバーと音を通じたワークショップを開催しました。

12月3日 カテウラ・ワークショップ
11月の下旬、パラグアイからとあるオーケストラが来日しました。 カテウラ・リサイクル・オーケストラ です! カテウラ地区 写真:藤掛洋子 パラグアイ・ カテウラ は貧困地域。各地からごみが集められてきます。 チャベスさんという指導者のもと、そのご...

2014年9月にも再会しパラグアイの子どもたちの未来について語り合いました。

*映像以外のファビオ氏の個人史やカテウラ楽団の歴史については下段に記載しております。

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藤掛:こんにちは。再びパラグアイでお会いできまして光栄です。この活動をはじめたきっかけについて改めて教えて下さい。

ファビオさん:この経験は、2006年に始まりました。私は、カテウラで環境技師として、2年以上プロジェクトに関わっていました。そのときに、カテウラの人々やごみ収集所で働いている人たちと知り合いました。
そして、本業とは別に、カテウラの子どもたちに音楽を教え始めました。最初は、ごみ収集所で働く親の子どもたちが中心でしたが、その後、周りの子どもたちも参加し始め、楽器の数よりも子どもたちの方が多い時期もありました。その中には悪さをしたり、躾が悪い子どももいたので、気を紛らわせながら音楽を教える必要がありました。そこで、私たちはゴミの中から楽器として使えるような物を探し始めました。音楽教室はごみ収集所の隣で行われていたので、リサイクルとして使えるものを集めて音楽を教え始めました。
オーケストラは、その後形成されました。子どもたちが楽器の扱い方や弾き方を覚えて一つのグループとしてしっかりとまとまり始めたからですね。そして、だんだんと私たちの活動に興味を示す方々があらわれ、少しずつ噂が広がり、今では、オーケストラのメンバーも増え、国内や海外でコンサートを開いています。音楽を学ぶ子どもたちも増え、現在、約200人の子どもたちがここで学んでいます。

藤掛:その他にもプロジェクトがありますよね。家の建設とか。土地を新たに購入されたとか伺ったのですが。

今、私たちはオーケストラを通じてカテウラの子どもたちを支援しています。つい最近、パラグアイでは洪水があり、多くの人がその被害を受けました。
被害を受けた人たちの中には、子どもがオーケストラに入っている人たちもいます。そこで、私たちは洪水から離れた場所に土地を買い、子どもたちが家族と避難できるような安全な場所を確保しようと考えています。コンサートなどで得る収入をこのようなプロジェクトに当てています。長期的でとても難しいプロジェクトです。

藤掛:この事業を始めてから他に何か問題はありますか。

毎回、音楽教室に通う子どもたちが増えていることですね。それは、良いことなのですが、その分、支援する子どもたちも多くなっているということです。オーケストラは、一種の救世島となっているのですが、みんなを救えない恐れがあります。

藤掛:どのようにしてファビオさんは、この事業を始めたのですか。他にも仕事があったんですよね。

ええ、私は中・高の教師として学校などで教えていました。

藤掛:何年教師として働かれましたか。
若い時からなので、10年から12年ですね。
私が育った田舎まちのハウス(苗床)でも働きました。その他にも、色々なプロジェクトに携わってきました。実家がスーパーマーケットを経営しているので、小さい頃から仕事はしていました。

藤掛:ご実家はどちらですか?

カラペグアです。親がスーパーを経営しているということもあって、幼い頃から仕事をしていました。私の家庭は裕福でしたが、それは皆が働き者だったからだと思います。

藤掛:農業はされていたましたか?
いいえ、商売です。スーパーマーケットですね。家の下がスーパーで、私たちは2階に住んでいました。ですから、毎日仕事を手伝っていました。幼い頃から、仕事を通して、仕事の大切さ、責任感、規則正しさなどを身に着けたと思います。
今は、オーケストラも大きくなり活動も沢山あるので、オーケストラの仕事にフルタイムで専念しています。指揮するだけでなく、プランを立てたり、旅行の調整を行ったり、住宅プロジェクトを策定したり、設計図や見積もりを練ったり、音楽教室プロジェクトを策定したり、さまざまな仕事をしています。

藤掛:音楽教室は今や救世島でなく、一つの国ですね。

(笑)そうですね。とにかく、やることは沢山あります。オーケストラのメンバーの中から青年を何人か選び、彼らにも活動計画を手伝ってもらっているのですが、彼ら・彼女らを育てるのにも時間が掛かりますから、壮大なプロジェクトです(笑)。

藤掛:今日はどうもありがとうございました。

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2013年・2014年の藤掛洋子のインタビューデータより(ビデオと重複あり)

【ファビオ氏の歴史】

ファビオ氏は、カラペグアの出身。幼い頃からギターを弾いていた。親がスーパーを経営したこともあり、9歳のときから働きはじめた。11歳のときには所属する協会の聖歌隊長となった。

アスンシオン国立大学に入学し、環境学を学んだ。中学・高校でも教師をしていたが、2006年から環境技師としてカテウラのリサイクル計画で働きはじめ、子どもたちにゴミの分別を教えるプロジェクトなどに従事した。しかし、プロジェクトはすぐにとん挫した。なぜならば、子どもたちには,秩序を守ること、そして約束を守ることができなかったからである。彼は自分の音楽力を使って子どもたちに秩序や約束を守ることを教えようとした。

【カテウラ楽団の始まり】

ビデオにもある通り、「躾が悪い子どももいたので、気を紛らわせながら音楽を教える必要がありました。そこで、私たちはゴミの中から楽器として使えるような物を探し始めました。音楽教室はごみ収集所の隣で行われていたので、リサイクルとして使えるものを集めて音楽を教え始めました。オーケストラは、その後形成されました。子どもたちが楽器の扱い方や弾き方を覚えて一つのグループとしてしっかりとまとまり始めたからですね。そして、だんだんと私たちの活動に興味を示す方々があらわれ、少しずつ噂が広がり、今では、オーケストラのメンバーも増え、国内や海外でコンサートを開いています。音楽を学ぶ子どもたちも増え、現在、約200人の子どもたちがここで学んでいます。」

【楽器制作者のニコラス・ゴメスのこと】

ニコラス・ゴメス(Nicolas Gomez)氏は、エンボスカーダという町で生まれた。7歳のときに父を亡くし、9人兄弟で助け合って母親を助け、生きてきた。現在はカテウラで妻と暮らしている。ファビオ氏と出会い、「ゴミから楽器を作ろう」と言い出したのはニコラスである。という。その後、多くの楽器をニコラス氏が手がけることになり、彼の楽器が世界を駆け巡ることになる。

2013年の訪問時(ニコラス氏の楽器工房)

2013年の訪問時(ニコラス氏の楽器工房)

インタビュー映像(YouTube)

ファビオ・チャベスさん(インタビュアー:ミタイ基金 藤掛洋子代表)

地域の方々

 

楽器を作って下さっているニコラス・ゴメスさん

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