パラグアイの社会

みなさんはパラグアイという国をご存知でしょうか。

2010年に開催されたワールドカップでは、日本とパラグアイが対戦したことから、パラグアイを知ることになった人も多いのではないでしょうか。2022年も日本とパラグアイがサッカーで対戦しました。

ここでは簡単にパラグアイのことを紹介したいと思います!

目次

パラグアイの地理

現在のパラグアイ共和国(以下、パラグアイ)は、ボリビア・ブラジル・アルゼンチンの三カ国に取り囲まれたラテンアメリカ大陸中央南部に位置する内陸国で、南アメリカの「心臓」や「へそ」と表現をされる人口704万人(世界銀行 2022)、国土面積が日本の1.1倍の小さな国です。

日本の反対側にあるパラグアイに行くためには、米国あるいはヨーロッパを経由し、ブラジルのサンパウロやアルゼンチンのブエノスアイレスでTAMという飛行機に乗り換えるのが一般的です。

今でこそ飛行機を乗り継げば行けるパラグアイですが、19世紀には「ラテンアメリカのチベット」と呼ばれ、パラグアイが生んだ世界的な作家アウグスト・ロア・バストス(Augusto Roa Bastos)は自国を「陸に囲まれた島」と呼んだそうです。

パラグアイの言語

パラグアイの公用語は、スペイン語グアラニー語です。

グアラニー語は、もともと先住民であったグアラニー民族が使用していた言語です。2002年に行われたパラグアイの国勢調査では、国民の90%以上がグアラニー語を理解できることが明らかになっています(古川 2014)。

グアラニー語は日常会話で使用されることが多く、新聞やテレビなどのメディア、政府の公式文書では主にスペイン語が使用されています。

日本と近い国、パラグアイ

パラグアイは、日本人にとって遠い国のように思えますが、実は色々な意味でとても近い国なんです!
パラグアイと日本の国交は1919年に開始され、日本人のパラグアイへの最初の試験的移住は1936年に始まりました。その後、両国は1959年に8万人強の受入を決めた「日本・パラグアイ移住協定」を締結しました。今日では日系人が7000人ほどパラグアイに住んでいます。

また、1978年には青年海外協力隊派遣取極が締結され、今日までに多くの日本人が派遣され、パラグアイ社会の発展のためにお手伝いをさせて頂いてきました。

国樹であるラパッチョの花が8月から9月に咲き乱れる首都アスンシオン(人口 51万)は、千葉市と1970年より姉妹都市関係です。そのアスンシオンには、豊歳直之駐日特命全権大使が設立したパラグアイ日本学院や、横浜国立大学大学院で博士号を取得したエルミリンダ・オルテガ博士(Dra. Hermelinda de Ortega)が設立したNIHON GAKKO大学などもあります。これらの学校に通うパラグアイ人の子どもたちは、パラグアイに住みながら日本文化や日本語を学び、日本との架け橋となっています。アスンシオンには、アスンシオン日本人学校(島村正明校長)もあり、お仕事の関係でパラグアイにおられる日本人の子どもたちはここで学ぶとともに、パラグアイ社会とも積極的に関わっています。

*本稿は、藤掛洋子(2014近刊)「はじめに」、藤掛洋子監修、トンプソン、ジョージ著、ハル吉訳『パラグアイ戦争:トンプソンがみた三国同盟戦争』、中南米マガジン:2-5 を元に加筆・修正し、パラグアイの社会について紹介させて頂きました。

その他の主な参考文献は、以下の通りです。
古川義一 2014「グアラニー語とスペイン語の併用―パラグアイのバイリンガル教 育―」田島久歳・武田和久編『パラグアイを知るための50章』[第2版]明石書店
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