*本論は、藤掛洋子(2014近刊)「はじめに」、藤掛洋子監修、トンプソン、ジョージ著、ハル吉訳『パラグアイ戦争:トンプソンがみた三国同盟戦争』、中南米マガジン:2-5 を元に加筆・修正し、パラグアイの社会について紹介させて頂きました。

■パラグアイ概況
パラグアイに馴染みの薄いみなさまのために手短にパラグアイのことを紹介しようと思います。現在のパラグアイ共和国(以下、パラグアイ)は、ボリビア・ブラジル・アルゼンチンの三カ国に取り囲まれたラテンアメリカ大陸中央南部に位置する内陸国で、南アメリカの「心臓」や「へそ」と表現をされる人口670万人(世界銀行 2012年)、国土面積が日本の1.1倍の小さな国です。2010年に開催されたワールドカップで日本とパラグアイが対戦したことから、パラグアイを知ることになった人も多いのではないでしょうか。日本の反対側にあるパラグアイに行くためには、米国あるいはヨーロッパを経由し、ブラジルのサンパウロやアルゼンチンのブエノスアイレスでTAMという飛行機に乗り換えるかのが一般的である。今でこそ飛行機を乗り継げば行けるパラグアイであるが、19世紀には「ラテンアメリカのチベット」と呼ばれ、パラグアイが生んだ世界的な作家アウグスト・ロア・バストス(Augusto Roa Bastos)は自国を「陸に囲まれた島」と呼んだそうです。

■日本と近い国、パラグアイ
日本人にとってとても遠い国のように思えますが、色々な意味で実はとても近い国ではないかと感じています。パラグアイと日本の国交は1919年に開始され、日本人のパラグアイへの最初の試験的移住は1936年に始まりました。その後、1959年に8万人強の受入を決めた「日本・パラグアイ移住協定」に両国は締結しました。今日では日系人が7000人ほどパラグアイに住み、日本の反対側で、お味噌汁と白ごはんと納豆を食べ、日本語で暮らす人々がいるのです。また、1978年には青年海外協力隊派遣取極が締結され、今日までに多くの日本人が派遣され、パラグアイ社会の発展のためにお手伝いをさせて頂いてきました。
国樹であるラパッチョの花が8月から9月に咲き乱れる首都アスンシオン(人口 51万)は、千葉市と1970年より姉妹都市関係にあります。そのアスンシオンには、豊歳直之駐日特命全権大使が設立したパラグアイ日本学院や、横浜国立大学大学院で博士号を取得したエルミリンダ・オルテガ博士(Dra. Hermelinda de Ortega)が帰国後設立したNIHON GAKKO大学などもあります。これらの学校に通うパラグアイ人の子どもたちは、パラグアイに住みながら日本文化や日本語を学び、日本との架け橋となっています。アスンシオンには、アスンシオン日本人学校(島村正明校長)もあり、お仕事の関係でパラグアイにおられる日本人の子どもたちはここで学ぶとともに、パラグアイ社会とも積極的に関わっています。

■三国同盟戦争
パラグアイが三国同盟戦争に至るまでの主な歴史は以下になります。宗主国スペインから1811年に独立し、1814年に初代大統領になったホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア(José Gaspar Rodríguez de Francia)(以下、フランシア)は、鎖国政策を展開し、独裁的なやり方で国内を統治するとともに、植民地時代から続くクリオージョ(criollo)寡頭支配層の根絶に尽力しました。この鎖国政策においてパラグアイの国内経済は発展し、外国の影響を受けないことから国民の同一性が維持できたといわれています(中川 2006)。フランシアが1840年に没した後、1844年にカルロス・アントニオ・ロペス(Carlos Antonio Lopez)(以下、アントニオ・ロペス)が大統領に就任するや、鎖国から開国へ、そして富国政策に努め外国貿易が再開され、ヨーロッパからの先進技術の導入が進められた。アントニオ・ロペス大統領は、パラグアイの道路を建設し、今では南米最古といわれるパラグアイ最初の鉄道(72Km)を敷設(日本における新橋、横浜間に鉄道が開通したのは1872年)し、通信も整備、農産物の改良、紡績、製紙、陶業、インク、武器製造も立ち上げました。1845年にパラグアイで最初の新聞が政府の援助で発刊(日本における日刊新聞の創刊は1871年)され、小学校が400校開校、2400人の児童が入学しました(日本の学制発布は1872年)した(中川 2006)。
このような技術発展のためアントニオ・ロペス大統領は1853年、長男のフランシスコ・ソラーノ・ロペス(Francisco Solano Lopez)(以下、ソラーノ・ロペス)を特派大使としてヨーロッパに派遣し、武器弾薬の買い付け、軍艦の発注、技術者の採用を行ってきました。なお、日本は1854年、鎖国政策を解き、米英等と和親条約を締結し、咸臨丸による遣米使節団の派遣は1860年であります。

主な参考文献
中川 和彦(2006)「傾城の美姫『エリーザ・リンチ夫人』小伝 」、『成城法学. 教養論集』、1-51。
Whigham, Thomas(2002) The Paraguayan War. Vols.1-2. Lincoln: University of Nebraska Press.