カアグアス県コロネルオビエド市ムルルプ地区サントドミンゴ村の事例

ベルナルドくんのケース
ベルナルド少年は孤児であり、また聴覚障害児である。彼が幼少の頃に両親は死去し、親戚の家を転々とした後、2000年頃より、カアグアス県コロネル・オビエド市ムルルプ地区サントドミンゴ村に居住する叔父の家に引き取られ今日まで暮らしている。叔父の家は豊かではなく、またベルナルド少年が聴覚障害のため“授業がわからない”、という理由から小学校を修了していない状況にある。
ベルナルドくんは、適切な治療を受けることで就学が可能となるということが2002年8月に行った診断により明らかになった。

ーこれまでの経緯ー
2001年4月:ベルナルドくんへのインタビューを実施(藤掛)
2004年8月:ベルナルドくんを連れ、首都アスンシオン(村から約145Km)の耳鼻科(日系パラグアイ人の医師よりDr Ariasの紹介を受ける)を回り、診断を受ける(藤掛)。
2004年9月-2005年1月:青年海外協力隊の隊員(当時)としてアスンシオンに派遣中の加瀬部将嗣氏の協力を得、補聴器の入手を試みるが高額であるため断念。
2005年2月:加瀬部氏の勤務先であるNGO:CEPEP (Centro Paraguayo de Estudios de Población)の医師Susana氏の協力を得、米国のNGO:Humanity Serviceの支援により配布されている補聴器(800ドル相当)を、かなり困難を極めたが、なんとか無償で入手。
2005年2月:ベルナルドくんの保護者サカリア氏に、ベルナルドくんの今後の継続した治療費他(村から町に出る際の交通費・食事代・宿泊代)として、貴クラブより頂いた謝礼の内の200ドルを手渡した。

居住地:カアグアス県コロネル・オビエド市ムルルプ地区
家族構成:叔父夫婦の家 叔父夫婦+子どもたち8名と同居

ベルナルドの保護者:サカリア氏からの伝言
ヨウコ、ベルナルドがついに補聴器を手に入れました。いろいろありがとう。感謝しています。これからベルナルドが、話し方を覚える訓練を受けるため、村から町まで出る際、預かったお金200ドルは、少しずつ使っていきたい。また、医者からもらった(補聴器の)電池がなくなったときにも、このお金を使いたい。今回は本当にありがとう。
*スペイン語からの翻訳ならびにパラグアイからのメールの発信は前出の加瀬部氏のご好意による。

ラモンくんのケース
アバロス家は夫フェリッペ、妻ラモナと5人の子ども(男2人、女3人)の7人家族であった。しかし、長男は、脊髄が悪く(原因不明)幼少の頃、歩行不能となり、2001年8月に一歩も歩けないまま死去した。
次男のラモン・アバロス少年も2001年頃より歩行が困難になり、16歳の現在、一歩も歩くことができない。
アバロス家は綿花栽培で生計を立てていたが、19990年代の綿花の国際価格の下落に伴い、収入の道を閉ざされた状況にある。アバロス家は、村の中でも特に貧困層の世帯に属し、現時点ではラモンくんの診療代はおろか、家族の食費を捻出することにも事欠く状況にある。
この度、ラモンくんの診療費・宿泊費・食事代として200ドルを手渡した。なお、50ドルはノルマ・オルウエ氏の諸経費(首都から村までのガソリン代等)に充てられる。

Rさん(女性40代)のケース
Rさんは、結婚後、夫から恒常的に暴力を受けてきました。しかし、カトリックの敬虔な信者と自己を規定するRさんにとって、離婚をすることは不可能なことでした。Rさんには4人の子どもがいますが、政府の政策により綿花の単一作物栽培してきた夫にもとに入る収入は、ここ数年、ほとんどありません。Rさんはキッチンガーデンで育てた野菜を売り、生計を立てていますが、病気の息子に十分栄養のある食事を準備することができません。
ミタイ基金では、2006年にRさんに生活費と病気の息子への治療代として200ドルを支援した。