パラグアイの女性たち

ここではパラグアイの女性が置かれている状況についてご紹介します。

目次

パラグアイの女性たち

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パラグアイは、国民の97%がメスティソ※であり、90%は宗主国スペインの影響を受けたカトリックです。
パラグアイの農村部には、マチスモ(男性優位)思想や、マリアニスモ思想(女性は夫や家長に従順であるべしという考え方)が根強く残っており、また性別役割分業も存在しています。

1990年代頃まで農村部では、家計管理は男性が行うものとされ、女性が家計管理を行うと、「男のような女」と揶揄されてきました。このような考え方はマチスモ・マリアニスモ思想により強化されてきました。近年はこのような考え方も少しずつ緩和してきてはいますが、コミュニティによってその差も激しく、今なお多くの女性たちの生活を圧迫しています。

※メスティソ:中南米におけるインディオと白人、特にスペイン系白人との混血児のこと

村の女性たちの現状

本基金理事長の藤掛が支援活動をしていたパラグアイ共和国カアグアス県の農村部S村には、当初小学校がありませんでした。隣村には中学校があり、近道をすると徒歩で2km程ですが、その道には当時山賊が出ると言われていました。
「山賊が心配だから行かせたくない」、「家が経済的に苦しいので働いてほしい」「教育は不要だ」と考える親御さんも少なくありませんでした。
女児の場合は学校に行きたいとは言わず、家事労働を望むことも多かったのです。 そういう女児は、女は家事労働をするものだということを内面化していたわけです。 村には「女性は発言しなくてもいい」、「女性はお金を扱ってはいけない」などの規範がありました。しかし生活改善プロジェクトをすすめていくなかで、女性たちが既存のジェンダー規範に疑問を持ちはじめ、古い価値観をどんどん塗り替えていきました。こういった過程の中で、当初は男性も反対したり、家庭によっては女性の家庭外での活動が原因で暴力を振るわれることもあります。しかし女性たちは諦めず、男性たちと話し合い、まずは青空市場に加工食品や生鮮野菜を売りに行き成功したのです。生活改善プロジェクトの結果を質的・量的に評価しますと、女性たちは「ジャムができた」「編み物ができた」「料理のレパートリーが増えた」「子どもに歯磨きを教えることができた」「手洗いを教えることができた」など多くの変化を語ってくれました。理事長の長年の調査、そしてミタイ基金の活動を通じ、ステップ・バイ・ステップのアプローチがのちの大きな成功につながることが明らかになりました。ジェンダーの問題は、当事者たちが気づいて行動を起こしていくことで変わることができると考えています。
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2014年に出された国勢調査によると以下の通りです(藤掛 2015)。

35年間の独裁政権を経て1992年の民主化へ移行後、女性の地位も格段に向上しているが、調査を実施すると特に農村部にはマチスモ思想(男性優位思想)といわれる価値規範は今でも根強く残っていることがわかる(藤掛2014)[1]

ここでは、2014年に出された国勢調査(Dirección General de Encuesta, Estadística y Censo 2014)の結果より紹介したい(藤掛 2015)。

パラグアイ統計局の家庭調査局長(Directora de Encuesa de Hogares)のNorma Medinas氏は、女性たちが不利益者状態におかれていても、女性たちが人権侵害に対して告発しない理由は、複数の文化的な背景がある。三国同盟戦争で人口が激減し、成人男性の多くが亡くなり男女比率が男性1に対し女性5(4という説、10という説もある)になったことは広く知られている。「国力」としての子どもが必要であったため、男性が複数の女性と性的な関係を持つことを社会が許容してきた(同掲載書)。Medinas氏はグアラニー文化を引用しながら以下のように述べる。女性たちが人権侵害に対して告発しない理由は、文化的な背景があり、グアラニー族の習慣が受け継がれているからである。グアラニー族は、独身でパラグアイに渡ってきた植民者であるスペイン人たちに自分たちの娘を差し出すなど、先住民族たちが作り上げてきた文化は三国盟戦争により強化されてきたという 。また、同新聞によると、今日人口は女性が49,9%であり、男性が50.1%と均衡を保っているにもかかわらず、政治的階級や経済的階級において男性優位社会であり、裕福な層でも貧困層でも養育に対しては無責任である悪い慣習が継続しているなど男性優位社会は変わらないのが今のパラグアイである、と結んでいる(前掲書)。

<主な引用参考文献>                                   [1]藤掛洋子(2014)「あとがき」、『 パラグアイ戦争史:トンプソンが見たパラグアイと三国同盟戦争』、ジョージ・トンプソン著, ハル吉訳、藤掛洋子・高橋健二監修                                 藤掛洋子(2015)「パラグアイの女性たちの今日的ジェンダー課題」、『女たちの21世紀』、No.84,p.28.                         Diario Hoy 2014年2月24日 Mujer Paraguaya es jefa de hogar en 4 de cada 10 familias

「パラグアイのマチスモ文化」

以下の文章を引用される場合は、出典を示してください。

出典:藤掛洋子(2014)「あとがき」、『 パラグアイ戦争史:トンプソンが見たパラグアイと三国同盟戦争』、ジョージ・トンプソン著, ハル吉訳、藤掛洋子・高橋健二監修。


1992年の民主化へ移行後、女性の地位も格段に向上しているが、調査を実施すると特に農村部にはマチスモ思想(男性優位思想)といわれる価値規範は今でも根強く残っていることがわかる。三国同盟戦争で人口が激減し、成人男性の多くが亡くなり男女比率が男性1に対し女性5(4という説、10という説もある)になったことは広く知られている。「国力」としての子どもが必要であったため、男性が複数の女性と性的な関係を持つことを社会が許容してきた。

毎年、カアグアス県の農村でフィールド調査に協力いただいているSさん(男性、50代)には81歳(1933年生まれ)の父がおり、その父の父、すなわちSさんの祖父には婚姻関係はなかったが7人の妻のような人が同じ敷地内の家にいたという。Sさんの81歳の父は、恐らくチャコ戦争を経験していると思われる。Sさんの父の父、すなわちSさんの祖父と7人の女性との間に子どもが35名人おり、その一人がSさんの父である。35人の子どもたちはそれぞれ婚姻あるいは婚姻をせずに子どもをもうけ、400人の子どもたちが生まれた。Sさんの祖父からみると孫が400人いることになる。結婚しているのか、していないのかはかはわからないとSさんは言うが、単純計算で35人の子どもたちにそれぞれ11人ぐらいの子どもが生まれるとSさんの祖父からみた孫が400人いるという計算は十分に成り立つ。この祖父は恩給を受けて暮らしていたので生活はそう苦しくないように見え、7人の女性たちも食べていけたようである、という。このような話は、三国同盟戦争後も農村には多くの未婚の母がいたことを示すものではなかろうか。

Sさん自身も10人の子ども(男児6名、女児4名)がおり、「女児には教育は不要であると考えていた」。女児たちは全員小学校3年程度で就学を中断し、畑仕事と家事労働を担っている。2013年の調査でSさんは、「女児にも教育が必要だと最近は思うようになったが、貧困であるがゆえ、それは難しい」と語ってくれた。

23年間の関わりを通して折々に聞かされてきたことであるが、三国同盟戦争でパラグアイの多くの男性は命を落とし、女性と男性の数の不均衡が生じたため、女性は未婚の状態で子どもを産むこととなった。そのような社会が長く続いたこともあり、「パラグアイは女性が木から降ってくる(女性が男性に比してたくさんいるという揶揄)」や「女性、特に既婚女性は子どもがいないとincompleta<インコンプレタ:不完全>と言われる。(藤掛 2003)。それに未婚の女性の場合は、子どもがいた方が、独身で子どものいない女性よりも上級に扱われ」ることから、女性は子どもを産むことが役目であり、幸せなのであり、そしてしばしば羨望の対象となってきた(藤掛 2003)。農村の人々は今日でもグアラニー語を日常の言語として用いているが、女性を子産みのものであると表現するグアラニー語の諺に多く出会う。例えばKuña imembynte va´era voi(La mujer está destinada a tener hijos)(女性は子どもを産むためのものである)などである。(Ponpa 1996)。

2013年の農村調査でも24歳の未婚の母である農村女性が、筆者の調査に同行した24歳の大学院ゼミ生に「同じ年なのにこの年までなぜ妊娠しないのか、理由がわからない。妊娠しないための方法を教えてほしい」と質問してきた。パラグアイの農村にはスマートフォンなどの携帯電話が普及しつつある今日においてもリプロダクティブ・ライツ(1994年の国連人口開発会議で公式文書として合意:子どもをいつ産むか、誰と産むかを決める権利でパラグアイも合意している)を享受できていない若い女性たちも多い。

パラグアイの国民の多くはカトリック教徒であり、結婚前の男女間の性交渉や未婚での出産を表向き社会は許容していない。筆者の良く知る地方都市に住む公務員の家庭の娘が高校生の時に妊娠した際の親族会議は大変なものであった。彼女は母親のサポートを受け、高校生で子どもを産み、学業を続け、進学し、看護師になった。このように表向きの慣習と子どもは神からの授かりものであり、大切に育てるものと考えるパラグアイの人々の「望まない妊娠」に対する揺れ動く思いをいつもみつめてきた。人工妊娠中絶は法律により禁止されている(母体に危険がある時のみ条件付きで許可)ため、若くして母になる思春期の女性が後を絶たない。パラグアイは人口が均衡した現代でもマチスモ思想の価値規範や女性は子どもを産み育てるものであるという言説がある。ジェンダーや宗教、三国同盟戦争により構築されてきた男女の関係性の規範が絡まりあい、ねじれているのである。

人口比率のアンバランスを生み出した三国同盟戦争について詳細につづられ本書は、現代パラグアイのジェンダー規範を読み解く際にいくつかの鍵を与えてくれる。また、若いグアラニーの男性たちが亡くなったあと、歯の抜けたグアラニーの老人や子ども、そして女性たちまでもが戦争に加わったという事実を知るにつけ、今も貧困地域の農村で黙々と畑で農作業をする老人たち、女性たち、子どもたちの姿と重なって見える。

文責:藤掛洋子

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