パラグアイに馴染みの薄いみなさまのために手短にパラグアイのことを紹介しようと思います。現在のパラグアイ共和国(以下、パラグアイ)は、ボリビア・ブラジル・アルゼンチンの三カ国に取り囲まれたラテンアメリカ大陸中央南部に位置する内陸国で、南アメリカの「心臓」や「へそ」と表現をされる人口670万人(世界銀行 2012年)、国土面積が日本の1.1倍の小さな国です。2010年に開催されたワールドカップで日本とパラグアイが対戦したことから、パラグアイを知ることになった人も多いのではないでしょうか。日本の反対側にあるパラグアイに行くためには、米国あるいはヨーロッパを経由し、ブラジルのサンパウロやアルゼンチンのブエノスアイレスでTAMという飛行機に乗り換えるかのが一般的である。今でこそ飛行機を乗り継げば行けるパラグアイであるが、19世紀には「ラテンアメリカのチベット」と呼ばれ、パラグアイが生んだ世界的な作家アウグスト・ロア・バストス(Augusto Roa Bastos)は自国を「陸に囲まれた島」と呼んだそうです。
日本人にとってとても遠い国のように思えますが、色々な意味で実はとても近い国ではないかと感じています。パラグアイと日本の国交は1919年に開始され、日本人のパラグアイへの最初の試験的移住は1936年に始まりました。その後、1959年に8万人強の受入を決めた「日本・パラグアイ移住協定」に両国は締結しました。今日では日系人が7000人ほどパラグアイに住み、日本の反対側で、お味噌汁と白ごはんと納豆を食べ、日本語で暮らす人々がいるのです。また、1978年には青年海外協力隊派遣取極が締結され、今日までに多くの日本人が派遣され、パラグアイ社会の発展のためにお手伝いをさせて頂いてきました。
国樹であるラパッチョの花が8月から9月に咲き乱れる首都アスンシオン(人口 51万)は、千葉市と1970年より姉妹都市関係にあります。そのアスンシオンには、豊歳直之駐日特命全権大使が設立したパラグアイ日本学院や、横浜国立大学大学院で博士号を取得したエルミリンダ・オルテガ博士(Dra. Hermelinda de Ortega)が帰国後設立したNIHON GAKKO大学などもあります。これらの学校に通うパラグアイ人の子どもたちは、パラグアイに住みながら日本文化や日本語を学び、日本との架け橋となっています。アスンシオンには、アスンシオン日本人学校(島村正明校長)もあり、お仕事の関係でパラグアイにおられる日本人の子どもたちはここで学ぶとともに、パラグアイ社会とも積極的に関わっています。

引用:藤掛洋子(2014近刊)「はじめに」、藤掛洋子監修、トンプソン、ジョージ著『パラグアイ戦争:トンプソンがみた三国同盟戦争』、中南米マガジン。